前編後編で分けて配信していた、名古屋港戦争特集。今回でラストということで今回取り上げるのは
ユニー(アピタ)とあとから来たとあるショッピングセンター
です!さて、誰が戦争に勝ったのか、最後までお読みください
前回はコチラからどうぞ↓
ユニーのソウル
ユニーはご存知の通り、中京を基盤に拡大してた西川屋チェン(靴や足袋の販売)と神奈川を中心に展開していたほていや(呉服)が名古屋トップの商社「タキヒヨー」の仲介によって設立されたのが現代まで続くユニーなのです。
そのユニーの源流の一つ、西川屋は現名古屋市港区を本拠地としていました。そう港区にはユニーの魂(ソウル)が眠っているのです。
そんな港区で、ユニーはある建築家と出会いするきっかけとなる……
ビッ!くじら
1989年に名古屋市港区を中心に世界デザイン博覧会が開催されます。ユニーグループはそこで、イタリアの天才建築家
アルド・ロッシ氏
を採用し、ビッ!くじらをパブリオン出展します。
ユニーグループもクジラのように大きく成長したいという思いから制作されたと私は思っています。
アルド・ロッシ氏はこれからユニーを動かしていく存在となっていく………
最後のアピター良質生活 アピタ(APiTA)のテコ入れ
この頃ユニーは既存店の立て直しに苦戦していた。特に苦戦していたのが、出店費用がかなりかさむ高級スーパー「アピタ」だ。1972年にユニー豊田店から改称したギャラリエアピタ豊田店から各地に続々と出店していたが、うまく既存ユニー店と差別化ができず、高い光熱費に毎年悩まされていた。
当時のアピタといえば、高級スーパーで敷居が高そうに見えて普通のGMSという状態になってしまっていた。
そこで、天才建築家と名高いアルド・ロッシ氏を採用し、一からアピタ業態に向き合った店舗建築を頼まれる、既存店との差別化アルド・ロッシが見いだしたした案とは?
ジャスコシティ南陽開店ーアピタテコ入れ中に
そんな中ライバルのジャスコが巨大ショッピングセンター、ジャスコシティ南陽を1992年開店してしまう。これは、ユニー店舗の2店(ユニー名港店、ユニー六番町店)の店舗にダメージがぶっ刺さりジャスコ優勢になってしまった。2店は西川屋チェン時代からの店舗で老朽化が始まってしまっていた。
アピタ岐阜店・港店オープンー最後のアピタとして
そしてようやく、アルド・ロッシ氏が建築デザインしたアピタ岐阜店が1993年06月14日、ハイバリュー・ハイプライス商品を販売する最後のアピタとして開店したアピタ港店(ポートモールアピタ港)は1992年10月21日にオープンした。
店舗外観には珍しくトリコロールカラーが採用され(俗に言うアピタトリコロールカラー)、赤・ライトブルー・黄の配色は異色でスーパーとしては珍しかった。また、アルド・ロッシは入口から楽しむために入口にオブジェクト(俗に言うアピタオブジェクト)を設置し、日々の買い物を楽しくできるようにデザインした。
俗に言うアピタトリコロールカラーの店舗(アピタ大口店(現MEGAドン・キホーテUNY大口店)で撮影)
アピタ岐阜店(現MEGAドン・キホーテUNY岐阜店)の入り口、いろいろ面白い
アピタ岐阜店(MEGAドン・キホーテUNY岐阜店)の入り口の吹き抜け、毎日の買い物が楽しくなること間違えない)
ユニーの社運すら握る両店の年商はユニーの売り上げに直結してきた。
そして、社運をかけたアピタ岐阜店は開店5日で売り上げ5億円を叩き出し、ポートモールアピタ港は5ヶ月で55億円を叩き出す店舗になり両店ともユニーのドル箱店舗へと化けていったのです。
(アピタ港店は後ほど紹介します!)
これにはさすがのジャスコもびっくり!
ジャスコも黙ってはいられないー逆襲のベイシティ
ジャスコはこれには黙っていられず、新たにできたあおなみ線を運営する名古屋臨海高速鉄道とタッグをくんで、あおなみ線荒子川公園駅直結にジャスコ名古屋みなと店を核とするベイシティ品川(後のイオン名古屋みなとベイシティショッピングセンター)を開業。
詳しくは前回に書いていますが、アピタ港店はフルボッコとまでは言わないがアタックを食らわれました。
ジャスコもなかなか欠陥な部分もあって………
ユニーのソウルをぶつけろ!!ーアピタ東海通店開店
前述した、ユニー名港店とユニー六番町店は老朽化の影響などもあり閉店し、新たに港区にできたブラザー工業の工場跡地に完成したブラザー港SCビルにユニー2店の後継店舗、アピタ東海通店を1997年09月18日に開業しました。
ブラザー名古屋港SCビルの看板や大店立地法プレート、定礎
ユニーのソウルをもって開店し、年商67億円を見込める巨大店となりました。同時にユニーはアピタのチェーン化を図っていて、中津川・稲沢・江南西・大口・高蔵寺・岡崎北・千代田橋・鳴海・向山・松阪三雲・福井・富山東などぞくぞくと同じフォーマット店舗を出店していきました。
巨大イオンモール爆誕ーアピタ港店すぐの場所に
ポートモールアピタ港の改装ーユニー初の既存店ウォークモールへ
アピタ港店からほど近い場所にイオンモールがイオンスタイル名古屋茶屋と200のテナントを核に2014年にイオンモール名古屋茶屋を開店することが決まりました。
ユニーも新しくできるイオンモールに対抗すべく2014年既存のアピタ港店を改装して、ユニー初の既存店ウォークモール化、ポートウォークみなとが誕生しました。
ポートウォークみなととアピタとユニーの看板。ポートウォークと書かれた部分にはポートモールの看板があった
ポートウォークに変更され、様々なテナントが入るようになり、より活気に満ちたと思いきや………
ポートウォークみなとのレポートと現況
まだ至る所でアルド・ロッシ時代の「アピタ」を感じることができる
吹き抜け最高!やはり、元は高級スーパーマーケットのアピタだったので豪華ですね。
岐阜店にこんなものはありませんでした、なんで?
直営食料
ポートウォークになるときにアピタ直営も改装されたらしく近年ユニーのサインや店舗フォーマットとなった。この時代のアピタも良い
そして、近隣のイオンや新たにできたSCに対抗すべく、PPIH改装が入り、ユニー初の化粧品専門店舗「変身共和国」1号店が入った。地味に立憲君主制なのかが気になる共和国。ジャスコにもキッズ共和国なんてものありましたね(現代のキッズリパブリック)。
こんだけ揃ったカプセルトイ専門店は港ではここしかないのでは?
PPIHのユニーはすぐ時代に乗り出すイメージ。
2階直営衣料もポートウォーク化のときに改装
この頃のユニー、アピタクロージング大好きですよね(アピタ一宮店やアピタ名古屋北店など)。
そして、今回中の人がポートウォークみなとに行った理由の一つにユニーのユニフード事業部が新店舗でユニー初業態の「カルビ天国」が開店したと聞いてユニーマニアとして食べないとと思いわざわざ長時間バスに乗ってきました。
味の感想は私のインスタグラムの方で詳しく載せているので、そちらを見てください↓
ただ、テナント募集はかなり辛くて………
やはり港区はSCが過剰すぎる気がするんだよな
↑去年辺りからずっとあるリニューアルプロジェクトがもうすぐ来るよという看板
でも、かなりのお客さんがどのフロアにもいたのが流石アピタを全国に広めた店舗
当分閉店はしなさそう
以上ポートウォークみなとのレポートでした!
詳しいのを見たいよという方は下のTwitterに載せたレポートを見てください!↓
ポートウォークみなと
— apiny ‖ 北尾張の商業施設ファン (@apinystorefan) 2024年11月5日
ユニーの業績低迷を受けて最後のアピタと称され、1993年ポートモールアピタ港として開業した
岐阜店同様アルド・ロッシが設計した施設で、開業当時ユニー1の売り上げとなり、この店舗のお陰でアピタの拡大に繫がった
近年改装してウォーク化したがテナント集めは難航しているよう pic.twitter.com/GYdhzGLuwW
ユニーやイオンを追い込んだ港区の巨大ショッピングセンターとは?
ユニーvsイオンかと思われていた名古屋港戦争に新たなSCが殴りにかかってきました。
そう、東邦ガス港明工場の跡地にできた
ららぽーと名古屋みなとアクルス(2018年開業)
だ。ららぽーとにしては面積が広すぎるせいか、港明スマートタウン地区(通称みなとアクルス)を新たに東邦ガスが建築し、スマートシティを作ってきたのだ。
東海3県初のららぽーとに東海民は興奮し、みんな一斉に新たにできた素晴らしいショッピングセンターに行っていた。
ららぽーと名古屋みなとアクルス、ひろすぎて写真に収まりきれない
やはり、住宅を作るところから行われたみなとアクルス事業。新たな住宅に住んだ方はららぽーとへ行くことが確実。
そんなことがあって、ある企業が危機感を覚えます。
そう、名古屋港戦争に負けてしまいそうなユニーだ。実はららぽーとの目の前に、前述したアピタ東海通店があるのだ。このままアピタのまま行けばららぽーととの差別化が困難。そう悟ったユニーはアピタ東海通店をUDリテールに移管し、ユニーとドンキのダブルタッグ初期店舗としてららぽーとと同じく2018年、MEGAドン・キホーテUNY東海通店として、リニューアルオープンしたのだ。
MEGAドン・キホーテUNY東海通店。港にペンギンはふさわしい(名古屋港には南極探索船もあり、なおふさわしい)。
ららぽーととアピタ東海通店(現MEGAドン・キホーテUNY東海通店)の距離。言葉通り目と鼻の先だ
MEGAドン・キホーテUNY東海通店のレポート、現況
アピタの醍醐味と言っても過言でない階段はドン・キホーテ仕様にカスタムされてしまった。ユニーとドンキのダブルタッグとは如何に、ドン・キホーテ85%ぐらい占めてるでしょ
この2枚の写真を見ただけでは純粋ドン・キホーテとの違いがわからない、当時はユニー傘下にUDリテールがあったのに………
今では珍しくなってしまったいけだ書店が入居。謎にユニーに入る率が高いんだよな………
昔はアカチャンホンポといったテナントがかなりあったが、今では完全に直営に飲み込まれてしまった………
MDU東海通店
— apiny ‖ 北尾張の商業施設ファン (@apinystorefan) 2024年5月12日
アピタ店としてみなと店のすぐ近くに開業したが、至近距離にららぽーとができてしまい対抗のために東海で初めてドンキ化した店舗。一昔前のアピタの雰囲気を感じることができる。昔はアカチャンホンポなどのテナントが多かったが、直営がほとんどを占めてしまっている。 pic.twitter.com/ZLTL4G2e32
ちなみにららぽーとがイオンモール名古屋港を閉店に追い込んだと言っても過言ではない。
ららぽーと名古屋みなとアクルスのレポート、現況
というわけで愛知県民の心を鷲掴みにしたららぽーとへ。
核テナントは尾張の方御用達のアオキスーパー。多大なる安心感が漂う、リア充じゃないですけど、いいですか?
別棟にはTSUTAYAの高級路線蔦屋書店が。草叢BOOKSあたりで私はいいかなとなってしまった……
すみません、現代アートに疎くて……
さすが三井不動産!吹き抜け最高!!!!!
周りはリア充!!!ファ!
屋外には巨大パラソルが!イベントスペースなのかな。キャンパススクエアの駅からダイエーまでの道にあるあれを思い出した。
購入した午後ティーと共に……
ほんとに辛かったしか言葉が出てこない……
彼女連れの方はいいのかもしれないが、独身男性だけじゃ心がズタボロになる。
一応レポート (にわか)はコチラから↓
ららぽーと名古屋みなとアクルス
— apiny ‖ 北尾張の商業施設ファン (@apinystorefan) 2024年5月12日
東邦ガスの工場跡地に開業。アオキスーパー、ロフト、蔦屋書店、ダイソー、ユニクロなど主力なテナントを入れ、いつも混んでいる。ファミリー層よりかは若者のカップルが多かった印象(モゾ寄り)で、自分だけ異端に目立っていたのは言うまでもない() pic.twitter.com/0OwhFK1leK
まとめー結局勝利したのは?
ユニーvsジャスコとして始まった名古屋港戦争。実はあとからららぽーとや、ベイシア、ロピアと言った企業が進出してしまって、現在名古屋市港区はショッピングセンターで飽和状態に陥っているのです。
勝ち負けはないかなと私は思っていて、飽和状態になるまで出店しなくてもよかったんじゃないかと思っています。実は港区今かなり注目されているのですね。それは交通の便が良いのもありますが、やはりスーパーに困らないことが一番消費者のニーズということを表しているのかもしれません。
名古屋市港区の主なショッピングセンター、スーパーマーケット(過去のものも含む)を表したもの
実はユニーあおなみ線や、市営地下鉄名港線付近に小型スーパーマーケット、ピアゴラフーズコアを出店していたんですよね。
そうやって消費者のニーズに寄り添ったユニーが一番なのかもしれません。
一番を決めるのか決めないのかはあなた次第。
参考にしたサイト等
[http://"ユニー名港店(名古屋市港区港栄4-3-7[18]、1947年(昭和22年)8月[11]15日開店、1955年(昭和30年)6月15日建替業態変更、1958年(昭和33年)増築、1967年(昭和42年)大増築[要出典] - 1997年(平成9年)8月17日閉店[22]) 店舗面積約2,663m2[18]。 前身の西川屋チェン発祥の地及びユニーの1号店[22]。4階建て。後継店舗はユニー六番町店と共に、1997年(平成9年)9月18日に開店した、アピタ東海通店[23]。 ユニー六番町店(名古屋市熱田区四番1-17-7[18]、1960年(昭和35年)7月20日開店[24] - 1997年(平成9年)8月17日閉店[22]) 店舗面積約1,995m2[18]。 ユニー(西川屋チェン)の2号店[22]。" ja.wikipedia.org
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